2004-11-11

「競って、白黒つけて、フォローなし」

ちょっと前に、銀行で順番を呼ばれるまでの間に、おいてあった週刊文春を手にとってみた。
時間も余りなさそうなので、パラパラとめくってみていたら、中村うさぎさん連載の「さすらいの女王」(313回)に目が留まった。
サブタイトル「パワーゲーム好きな女」。 ん?と思って読み始める・・・。
ちょっと引用。。

パワーゲーム女というのは、二重三重に孤独である。
(中略)
さらに、パワーゲーム志向の女は、女同士の世界で嫌われやすい。
女の世界では、上下関係ではなく、並列関係の交流が重視されるからだ。つまり、同じ女としての対等な立場で、どこまで共感し会えるか、という能力を問われるのである。
もちろん女の世界でも互いの優劣を競い合う作業はしょっちゅう行われている。しかし、それはパワーゲーム的な戦いとは根本的に違うものだ。女たちの競い合いとは、たとえば、どちらが魅力的か、どちらが男にモテるか、どちらが幸せか、どちらの生き方が素晴らしいか、といったような、ある意味、客観的判断基準の曖昧な部分で戦っているので、これは非常に答えの出にくいゲームであり、したがって、はっきりした勝敗が決まらないまま、最後には「でも、女として共感できる部分は、お互いにあるよねぇ」みたいなオチで心の繋がりを確認することが多いのである。
つまり白黒つかないことが重要なのよ、女の世界では。白黒ついちゃうと、友達でいられなくなるから。
だから、たとえ本質はパワーゲーム志向の女であっても、この「共感能力」を持っていれば、女の世界でも排除されずにすむのであるが、そもそも、パワーゲーム好きの女というのは、そういうことを面倒くさがる傾向にあり、したがって「競って、白黒つけて、フォローなし」といった行動に出やすく、結果的に女友達の少ない寂しい生き方を強いられてしまうのだ。


ああ、いるよなぁそういう人。。 そういうのが原因で人間関係のトラブルに巻き込まれている女性から話を聞くことも多いし・・。
でも、これって男にも多くないか? 
「競って、白黒つけて、フォローなし」という風に別に競っているわけではなくても、「白黒つけて、フォローなし」は沢山いるな。
男社会は、そういうことを割合「仕方ないこと」として受け入れる傾向があるけど、能力主義云々に変化しているといわれる会社組織の中でのトラブルって、実は能力の問題じゃなくて、「白黒つけて、フォローなし」と「共感能力」のところが問題じゃないのかな。。

そうなことを考えているうちに、順番が来た。

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