2005-12-31

生ましめんかな

生ましめんかな

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

2005年を振り返る

あっというまに2005年が終わる。

驚くほどのスピードで過ぎた年であったし、色々なことがあったわりにとても昔のことのように感じられてしまう年でもあった。
精神的にきつかったものが体に現れてしまった年でもあった。
こういうのが「厄年」なのかもしれないな。

年の瀬に、クライアントから感謝のメールを頂く。
仕事は、確かにお金のためにやっているんだけれど、「報われる」というのはこういうことなんだなぁと実感した。

ストレス解消法 

昨日の宴席でストレス解消法の話になる。
この年齢になるとみんなそれぞれ。
運動だったり、音楽だったり、読書だったり、旅行だったり、方法は様々。
それぞれがそれぞれのライフスタイルに応じた方法を持ってる。
話が深くなり、仕事や外であったことを家で話したりするかという話になった。

これについては、はっきり二つに分かれる。
当たり前だけど、「話す派」と「話さない派」。

観察していて面白いのは、「話す派」は概ね不特定多数を相手にした仕事だということ。
そして「話さない派」は仕事の相手が仕事柄特定できてしまうか或いは不特定多数でも山梨県という狭い世界では接点が出来てしまう可能性があるような仕事。
「話す派」にとっては話さないことが理解できない。話すことでストレス発散できると思っているから。
ただ、話したいのに聞いてもらえないというストレスを持っている人もいる。これはこれでちょっと考えさせられちゃう。。。
「話さない派」にとっては、家で話すこと自体ができない。背景を話すことや「話せないこと」を話すこと自体が違う意味でストレスになるから。

これってコントラストが出ていてとってもわかりやすい。
「話す派」は外交的な面が強く出ていたし、「話さない派」は内省的というか、1人で解消する方法を持っていたり、考えていたりしている。
ここで、自分を考えてみると「話さない派」であり「話せない派」でもあるなと思う。まあ、守秘義務があるような仕事をしている人って皆そういうもんなんだろうけれど。
何かしらのストレスが溜まっているなと感じたときってビデオや映画が見たくなってきたり音楽が聞きたくなったりカラオケがしたくなったりと、仕事やストレスの原因から完全に離れた話題の世界に行ってるな。

同世代の話を聞きながら、そんなことを自覚した。

思いやりのない知識

たぶんアインシュタインの言葉。
まったく、その通りだと思う。

思いやりのない知識などいくつ持っていても役に立たない。

2005-12-30

Return of champions DVD Queen+Paul Rodgers

Queen and Paul RodgersのDVDを見た。

42インチのプラズマディスプレイで見るライブ映像は格別。
「ああ、こういうときのために買ったんだよなぁ」とちょっと嬉しくなる。でも時間が深夜なのでせっかくのサラウンドは使えず、ヘッドフォンで見る。
これが、かえって良かった。

高校生時代、音楽というとカセットテープかLPレコードで聴いていた。
いまやどちらも過去の遺物だけれど。
それらを聴くときはほとんどヘッドフォンでだった。ヘッドフォンを付けて目を閉じて音楽を聴いていると、意識が段々と現実から離れていって、未来は無限できっと何でもやれば出来るに違いないと感じることができていた。
そう、目を閉じると世界は視界から脳内の空間へあっという間に広げられたから。
そのときの感覚がフラッシュバックして戻ってきた。

あのときの感覚が今を作ったんだなと思うと、こうやって今もヘッドフォンで同じ感覚になれるのも悪くないな。

2005-12-24

字をおぼえましょう

クリスマスイブにこの本を初めて読み、この物語に出会う。
ずっと探していて売っていなかったものが手に入り、そして何故「今」読んでいるのか、そんな「偶然」について考えてしまう。
人が人に残せるものって何だろう?

西原理恵子「営業ものがたり」収録、「うつくしいのはら」から抜粋。

ぼくは毎日字をならいに行く。 お母さんの言いつけだ。
字をならいなさい。
そしたら、本がよめる。
世の中のことがわかる。
仕事がもらえる。
かぞくを食べさせていける。

おかえり、今日はどんな字をならってきたの。
「うつくしいのはら」
きれいな言葉ね。
一つでも多くの言葉をおぼえなさい。
あなたのかぞくをおなかいっぱい食べさせるために。

ねえ おかあさん
ぼくたちはいつになったら字をおぼえて商売をして人にものをもらわずに生きていけるの。
「わからない」
「それは誰にもわからないの。」
でも次にうまれて人になるために一つでも多くの言葉をおぼえましょう。

2005-12-22

記憶

焼肉を食べながら、ふと思う。

どうも最近記憶力が鈍ってきている。(ーー;)

「どうしてそんなことまでというような事まで憶えてるから、鈍ったくらいでいいんじゃないの?」と言ってくれる人もいる。
だけど、今までの自分と違って感じられるというのはとっても不自然というか違和感がある。

今年の1月に起きたことなんて、まるで何年も前の出来事のように感じられてしまうけれど、まだ1年経ってないんだな。
本当に遠い昔の出来事みたいだし、自分のことではなかったかのような客観的な感じすらする。

いいんだか、わるいんだか。。。。

2005-12-18

Infernal Affair Trilogy


週末が明けるまで、あえて仕事の関係は全て見ないようにすることにする。
PCも開かない。(笑)

頭の中を空っぽにして何も考えたくないので、購入したDVDのトリロジーを見る。
ちょうどコジマ電機で二割引で購入。

いわゆる三部作の三作目である「インファナル・アフェア III 終極無間」をやっと見る。
前2作のわかりにくかった部分と、一種のsagaとしての補完が出来たって感じ。
こうやって三作を見ても脚本にブレがないことに感心する。

2005-12-16

未来を語る

ここのところ、過去の処理のようなことばっかりで、とっても閉塞感を感じていた。
そこで、仕事の後での友人との食事の際に「将来や未来」というお題の範囲で話をしてみる。
「こんな風に変えてみたい」とか「こうしたらこうなるかな?」といった、ある意味想像力の中だけの話。
妄想じゃまずいけど。(笑)

これって、実は楽しいことなんだなって改めて気づく。
範囲がビジネスだったとしても、「夢」を語り合うことと同じなんだから。
そうか、過去の処理の後には「夢」を語ったって何にもいけないことはないんだな。
ここのところ、どうも相手の心境が自分の中に入って来易いというか、憑依するような感じになってしまっていたけれど、あえてその事を脇においてしまうというのも時には良いことだなぁ。

2005-12-15

総決算

何と言うか、いろんな過去からのものが「総決算」のように出てくること出てくること。。。

誠実に対応しなければいけないけど、社会や法律の範囲の中でどこまで対応できるんだろ。
調べなければいけないな。
まずはシュミレーションして、その後、対策の事前協議か。

と、思いつつも忘年会へ出席。
久しぶりに会う人たちから口々に、「痩せた?何かあったの?大丈夫?」という3つの言葉を頂き続ける。
答える言葉はただ一つ。
「今年は色々ありすぎて大変、早く来年になって気分を変えたい」

神様も、もう少し考えて、少しずつにしてもらえませんか?
ほんと、限度ってものがありますよ。

2005-12-12

さて、どうしたものか。。。。

朝から調子が上がらない。

たぶん、頭の中が回転したままのようになっていて、上手く眠れていないんだと思う。
朝からミーティング。
こんな時代に会社が存続していくことって本当に大変なんだけれど、それを出来るだけ客観的に見るように努力したい。(あまり上手には出来ないけど)
ちょっとだけ、方向性が見える。

そのミーティングの最中にも、頭の中では他の事も並行して考えてしまっている。
だから、脳が麻痺してくるような感覚に囚われる。

最近、こんなときはすぐに胃に影響が出る、というか食欲が無くなる。あたりまえか。

ちょうど友人から相談しながらランチを取りたいという誘いがあってありがたいなと思う。
1人だったら食事してないな、きっと。
「いろいろなものとの距離感が大事」という話を聞き、「緊張感は伝染するから柔らかいオーラを出すようにしたほうが良い」と言われる。
そうだね、現に僕がうつされているわけだから、本当だね。
きっと何かの解決策がいつか見つかると思うことにする。
色々と意見を交換しながら、モソモソと食事してランチ終了。

この後も打合せに出て、研修会に出て、業界の例会に出て、予定をこなす。
相変わらず、頭の中は回転したままで、疲れる。
こんなときに、同業者に合うというのも、「何か尋ねてみなさい」という巡り会わせなのかもしれない。

2005-12-09

やっぱり不安定だなぁ

ちょっと前に思っていたように、やはり運気というかリズムが不安定。
予期せぬことが周囲から幾つも同時に飛び込んでくる。
何とか出来そうなこともあるし、難しいなぁと思うものもある。

そういったときにこんな事を思う。
今、目の前で怪我をしている人がいたとする。
怪我をしている人は、「今」痛みを感じている。
この人に対して、「世の中にはもっと苦しんでいる人や悲しんでいる人がいるんだよ、だからこの程度なら大丈夫だよ」という声をかけることはできない。
それはきっと高い倫理性と強さを持っている人にしかできないんじゃないかなぁ。
自分も含めて、そこまで強くない。
だって、今、痛くて苦しいんだから。
だからといって、何かを確実にしてあげられることなんて少ないんだけれど。

そんな風に背景や心情を想像し始めると、自分も一緒に落ち込んで行ってしまう。。
今年は、そういうのが多い。
でも、避けてはいられない。

2005-12-08

ふと振り返る

とある会社の役員会。

人事の取扱を協議しているときに、ふと「いま自分がしていることは正しいことなのか?」なんて考え始める。
企業として、「こうしてあげたら働きやすくなるのではないか」とか考えることは大事だけれど、その事が働く人の望んでいることのどの程度をカバーしているのかを判断するのが難しい。
そもそも、この労働条件であれば他の仕事という選択肢さえあるわけだけれど、「良い人」に働いてもらうためには、なにかしらできるだけのことはできたらと思う。

そんなことを考えているときに、意識は瞬間的に遠くまで飛んだようになり、「今までやってきたこと」や「自分なりに考えてきたこと」は大丈夫だったんだろうか?と考え始める。
こういう時って、時間は短いのに、頭の中はぐるんぐるん回転してる。
本当に遠くまで行っている。

全部じゃなくても、ある程度は大丈夫だったと信じたいなぁ。
そうじゃないと、経験をベースに前に進むのが辛いことになっちゃうから。

2005-12-07

バタバタもすこしは終わり

11月までのバタバタも調子を崩したのを境に、相変わらずやることはあっても精神的には少しは落ち着いてきた感じ。

今年の一年間を通じて、運気というかリズムというか、良いときと悪いときの波が大きすぎて自分でコントロールがやりきれない感じを持っていた。
これほどコントロールが効かないのは人生で初めてくらいの感覚。
これが「前厄」というものなんだろうか?

安心したり、ほっとしたりしてると、すぐに予期せぬことが周囲で起きて、「こりゃ大変だ」という状態へ。。。
今の状態が続いてくれるといいんだけれど、少し不安。。。