2009-11-04

経験と疑似体験

よく言われることだけれど、「人間は色々と経験しておいた方が良い」と言うことになっている。
では、「人生がひっくり返るほどの悪い経験」もした方が良いかというと、そんなことは無いと思う。
自分の子供にそういう経験をさせたいという親はいないだろう。

最初の言葉の背景には、「より良い将来を迎えるために必要な経験」という意味が隠れている気がして仕方がない。

確かに、人間は経験した以上のことは説得力のある言葉として表現できないから、「ひっくり返る様な経験」も話す人によっては「修羅場をくぐった強さ」ということなのかもしれない。
しかし、修羅場はくぐらない方が良いはず。
同じ「転ぶ」にしても、立ち直れる「治る傷」を経験して、より一層の痛みを想像して感じられる想像力が得られることが大事。
とすると、それを補うのが疑似体験と想像力ということになり、「本を読む」ことや「実際に体験している人の話を直に聞く」ということに重要性があるはずと思う。
転ばないでも、転んだときのことを我が事のように感じられることが大事だと思う。
これが「知識」ということなのだろう。

それでも、注意している人でも大きく転ぶときがある。
不運としか表現できないようなことも起きている。
人に2000年以上の歴史があるなら、人それそれぞれ全く同一の感じ方は出来なくとも、状況を解消あるいは軽くしたりする方法が過去のどこかに必ずあったと思える。

そういったことを解決できる力を「知恵」と呼びたい。

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