2010-07-09

すべてのわざにはときがある

きのう運転しながら考えていたこと その1

特にすることもなく、高速道路を制限速度に近い状態でのんびり走っていると、いろいろなことが頭に浮かび、整理され、腑に落ちたり、受け入れられていくときが多い。

キリスト教の信者ではないけれど、次の言葉については信じている。
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざにはときがある。 
生るるに時があり、死ぬるに時があり。 
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり。
(旧約聖書 伝道の書3:1-8)
昔から、物事には流れとか、タイミングとか、間というものが存在していると信じている。

物事に突然道が開けるときにも「時」があり、逆に、終わりを告げるベルのような「時」もある、と思う。

電話なんかは良い例かもしれない。
一本の電話で始まり、何かの物語が動き始める事もあるし、タイミング悪く出られなかった電話であっても、その「出られなかったこと」で何かの終わりを予感させ、結果が透けて見えるようなことも多い。(そして、これが意外に当たることも多い。)
ここでの終わりは他者にとっては始まりのこともあるだろう。

ただ、これらのことは、全体の一部を俯瞰していると自分で思っているときの話。

それぞれの物事は、その物事に接している人々の「意志」が動かしていることも間違いないけれど、その意志も何かの「時」に影響を受けているのだろう。

そういえば、あるクライアントが、「今日上手くいっていることは、5年前に自分がやったことの結果ですよ」と言っていたっけ。
逆に言えば、「今日上手くいかなかったことは、5年前に自分が何かを行わなかったことの結果」ということか。



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