2011-03-26

エネルギーのあり方・冗長化のあり方・ライフラインのあり方

いろいろ考えてみても、これだけの人口と産業、情報化された社会を保つためには電気エネルギーが必要であることは誰も否定できないと思う。
今回の震災において、エネルギーは必要なんだけれど、それを生み出す方法が原子力依存で良いのか?という疑問が突きつけられてしまった。

その問題を考えてきた人たちは前から多くいたのだけれど、自分は「科学による安全性維持」を信じすぎていたのかもしれない。あるいは、「科学者の想像力」を信じすぎていたのかもしれない。想像力と空想力が無いと科学が進歩したり、研究できたりは出来ないと思っていたから。

システム関連の言葉で「冗長化」と「フォールトトレラント」という言葉がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/冗長化
http://ja.wikipedia.org/wiki/フォールトトレラント設計

どちらも、何かのトラブルが起きたときに、そのトラブルによりシステム全体が停止しないようにすることを目的とした考え方になると思う。
ただ、どの範囲までを想定してシステムの安全性を保つかは、例えばITであれば、システムに投資できる金額(予算)や発生の確率、あるいは万一停止した場合に復活させるコストのバランスの中で決定されることが多い。

平成23年3月26日(土)の朝日新聞朝刊の投書欄に次の様な投書が載っていた。
(抜粋、言葉は原文のまま)
福島第一原発関係者の「想定外」という言葉を聞き、10年ほど前の東京電力運営の「電力館」(東京・渋谷)での出来事を思い出した。たまたま立ち寄ったのだが、小学生が10人ほど見学に来ていた。
その中の一人が案内役の女性の「質問ありますか」の声に元気に手を挙げ、災害時の原発の多重の安全性について質問した。
小学生「これが壊れたら?」
女性「その場合はこれが働くので大丈夫です」
小学生「じゃあ、もしそれも壊れたらどうするんですか?」
女性「その場合にもこれが働くので大丈夫です」
小学生「それも壊れたら?」
女性「そんな事はありません!」
説明に窮した案内役の女性はとうとう怒り出してしまった。
(以下、略)

同じ日の朝刊に、次の様な記事が出ていた。
「電源喪失、想定できぬ」 保安院・安全委の両トップ、過去に
(抜粋、言葉は原文のまま)
現在の原子力安全委委員長の斑目春樹氏は、東京大教授だった当時の07年2月、中部電力の浜岡原発をめぐる訴訟で中電側の証人として出廷。原発内の非常用電源が全てダウンする事を想定しないのかと問われ、「割り切りだ」と話していた。
この際、「非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ」「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません」などと証言していた。
斑目氏はさらに続けた。「我々、ある意味では非常に謙虚です。聞く耳を持っております」「ただ、あれも起こって、これも起こって、これも起こって、だから地震だったら大変な事になるんだという、抽象的なことを言われた場合には、お答えのしようがありません」
 


これについては、次の様な報道もされていた。

原発設計「想定悪かった」原子力安全委員長
班目氏は「割り切り方が正しくなかったということも十分反省している。原子力安全委員会は原子力安全、規制行政に意見を言う所だが、抜本的な見直しがなされなければならないと感じている」と語った。
この記事と、前記の投稿が同日の新聞に掲載されていた事で、システムの安全性を保つ冗長化について考えさせられた。

何回かに1度起こる確率のあるリスクにどのように対処するか?
そういった考えを突き詰めていくと、斑目氏の答弁のような回答になってしまう。
ただ、確率においてどれだけ小さな数字となったとしても、絶対0にはなりはしない。
そして、これらの考えには「健康リスク」は大きく取り上げられていない。

この前提の前で、企業が行うIT化や設備投資計画と同様な発想の元に、特に長い時間の問題を残しそうなライフラインを考えても良かったのだろうか?
技術的に出来ることと、確率論を超えた健康被害に対する安全性を確保すべきものを分けて考えられないのだろうか?

自問自答している。




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